大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和54年(あ)664号 判決

平成元年(ワ)第九一三号事件判決書目次

(目次)

(略語表)

(判決本文)

当事者の表示 (別紙当事者目録)

主文

主文

本件上告を棄却する。

事実及び理由

第一編 当事者双方の申立て及び事案の概要

第一章  当事者双方の申立て

第一  原告ら(請求の趣旨)

第二  被告ら

第二章  事案の概要及び主要な争点

第一  事案の概要

第二  主要な争点

第二編 争いのない事実等及び当事者双方の主張

第一章  争いのない事実等

第一  当事者

第二  本件地域の概要

第三  主要大気汚染物質

第四  環境基準

第五  全国的に見た大気汚染の推移

第六  環境行政

第七  公害健康被害補償制度

第二章  原告らの主張

第三章  被告会社らの主張

第四章  被告国の主張

第三編 当裁判所の判断

第一章  本件地域の大気汚染と健康被害(集団的因果関係 その一)

第一  本件地域の大気汚染の歴史的推移

第二  本件地域の大気環境濃度の推移及び環境基準等に照らした汚染レベルの評価

第三  本件地域における健康調査

第四  我が国の一般環境大気に係る疫学調査

第五  中公審専門委員会報告の疫学評価等

第六  本件地域全般の大気汚染物質による一般的汚染と指定疫病との因果関係

第二章  沿道の大気汚染と健康被害(集団的因果関係 その二)

第一  本件各道路開設の経緯等

第二  本件各道路沿道の大気汚染の程度

第三  道路沿道に係る疫学調査

第四  自動車排出ガスの距離減衰

第五  動物実験等

第六  本件各道路沿道の局所的汚染と指定疫病との因果関係

第七  千葉大調査の知見の本件各道路沿道への当てはめ

第三章  争点三(個別的因果関係)についての判断

第一  指定疫病の罹患及びその重症度の推定

第二  他因子の評価及び増悪について

第三  本章における本件患者の検討

第四  個別的な因果関係及び症例の検討

第四章  被告会社らの立地、操業の経緯及び環境対策

第一  被告中電

第二  被告新日鐵

第三  被告東レ

第四  被告愛知製鋼

第五  被告大同特殊鋼

第六  被告三井化学

第七  被告東邦瓦斯

第八  被告東亞合成

第九  被告ニチハ

第一〇  被告中部鋼鈑

第五章  争点一(到達の因果関係の有無)について

第一  被告会社らの排出に係る硫黄酸化物の本件地域への到達の寄与割合

第二  原告らの主張に対する判断

第六章  争点五(被告らの責任の有無)について

第一  被告会社らの責任

第二  被告国の責任

第七章  争点四(共同不法行為の成否)について

第一  被告会社ら相互の共同不法行為

第二  被告会社らと被告国の共同不法行為

第八章  争点六(損害賠償の額)について

第一  請求の方式、損益相殺について

第二  損害額の算定

第九章  争点七(消滅時効)について

第一  不法行為に基づく損害賠償請求と消滅時効

第二  不法行為に基づく損害賠償請求と除斥期間

第一〇章  争点八(差止請求)について

第一  はじめに

第二  差止請求の適法性

第三  本件差止請求の本案の可否

第一一章  請求拡張部分に対する判断

第一二章  結論

(判決別紙)

当事者目録

認容債権目録一、二

被告会社工場、事業所一覧表

請求金額目録

患者別損害額計算表(被告会社ら分)、(被告国分)

(別冊)

一  個人票

二(当事者の主張)

第二章 原告らの主張

第三章 被告会社らの主張

第四章 被告国の主張

図表

略語表

一  本判決において、原則として略語で表記されるもの等は以下のとおりである。

(当事者等)

承継人原告

別紙当事者目録に「訴訟承継人原告」として表示がされている原告ら並びに原告番号74、75及び127の原告ら

死亡原告

承継人原告の左の【 】内に表示されている者

患者原告

承継人原告以外の原告ら

本件患者

患者原告及び死亡原告

原告番号

元番だけのもの 本件患者(ただし原告番号74、75、127の原告らについては承継人原告)に係る整理番号

枝番のあるもの 承継人原告の整理番号

被告中電

被告中部電力株式会社

被告新日鐵

被告新日本製鐵株式会社

被告東レ

被告東レ株式会社

被告愛知製鋼

被告愛知製鋼株式会社

被告大同特殊鋼

被告大同特殊鋼株式会社

被告三井化学

被告三井化学株式会社

被告東邦瓦斯

被告東邦瓦斯株式会社

被告東亞合成

被告東亞合成株式会社

被告ニチハ

被告ニチハ株式会社

被告中部鋼鈑

被告中部鋼鈑株式会社

被告会社ら

被告中電、被告新日鐵、被告東レ、被告愛知製鋼、被告大同特殊鋼、被告三井化学、被告東邦瓦斯、被告東亞合成、被告ニチハ及び被告中部鋼鈑の10社

訴外ヤハギ

訴外株式会社ヤハギ(破産手続中)

本件各工場

別紙被告会社工場、事業所一覧表記載に係る被告会社らの工場、事業所

国道1号線

一般国道、国道1号線

国道23号線

一般国道、国道23号線

国道154号線

一般国道、国道154号線

国道247号線

一般国道、国道247号線

本件各道路

国道1号線、国道23号線、国道154号線及び国道247号線の四道路

(法令等)

国賠法

国家賠償法(昭和22年法律第125号)

ばい煙規制法

ばい煙の排出の規制等に関する法律(昭和37年法律第146号)

大防法の制定により廃止

公基法

公害対策基本法(昭和42年法律第132号)

環境基本法(平成5年法律第91号)の制定に際し廃止

大防法

大気汚染防止法(昭和43年法律第97号)

特別措置法

公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(昭和44年法律第90号)

公健法の制定により廃止

特別措置法施行令

公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法施行令(昭和44年12月27日政令第319号)

公健法施行令の制定により廃止

公健法

公害健康被害の補償等に関する法律(昭和48年法律第111号)

昭和62年法律第97号による改正前は公害健康被害補償法

公健法施行令

公害健康被害の補償等に関する法律施行令(昭和49年8月20日政令第295号)

第一種地域

公健法2条1項及び(旧)公健法施行令1条別表第1所定の地域

本件地域

名古屋市内、愛知県東海市内及びその周辺地域のうち公健法に基づき第一種地域として指定されていた地域

指定疾病

特別措置法2条、特別措置法施行令1条別表の1、3の2、3の3、4、5、5の2、5の2の2、5の3及び5の4の各欄並びに第一種地域について(旧)公健法施行令1条別表第1で指定された慢性気管支炎、気管支喘息、喘息性気管支炎及び肺気腫並びにこれらの続発症。

認定患者

特別措置法3条1項の被認定者及び公健法4条1項の被認定者

自動車NOx法

自動車から排出される窒素酸化物の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法(平成4年法律第70号)

名古屋市救済条例

名古屋市特定呼吸器疾病患者医療救済条例(昭和47年名古屋市条例第1号)(乙A一四の1、2、七四)

東海市医療費助成条例

東海市特定疾病患者の医療費助成に関する条例(昭和46年東海市条例第22号(乙A一五)

(各種機関等)

中公審

公基法27条に基づき総理府(後に環境庁)に附属機関として設置された中央公害対策審議会

認定審査会

公健法44条、45条所定の公害健康被害認定審査会

53年専門委又は同報告

中公審大気部会二酸化窒素に係る判定条件等専門委員会又は同委員会の昭和53年3月20日付報告

61年専門委又は同報告

中公審環境保健部会大気汚染と健康被害との関係の評価等に関する専門委員会又は同委員会の昭和61年4月付報告

一般局

大防法22条に基づく一般環境大気測定局

自排局

大防法20条に基づく自動車排出ガス測定局

WHO専門委又は同報告

WHO(世界保健機構)窒素酸化物に関する環境保健クライテリア専門委員会又は同委員会の昭和51年8月付報告

BMRC

British Medical Research Council(英国医学研究委員会)

ATS

American Thoracic Society(米国胸部疾患学会)

EPA

U.S Environmental Protection Agency(米国環境保護庁)

(書証)

堀江意見書

乙E一、二、一三の1、2

証人堀江孝至の証言を含んで「堀江意見書等」という。

山木戸意見書

乙E一一の1、2、一四の1、2

証人山木戸道郎の証言を含んで「山木戸意見書等」という。

主治医診断書

本件患者の主治医が公健法又は特別措置法の認定申請又は更新申請に際して名古屋市長又は愛知県知事に提出した診断書(本件患者の各原告番号に係る乙E一〇〇〇番台号証の1として提出)

主治医診断報告書

本件患者の症状の程度、指定疾病以外の疾病罹患の有無、喫煙歴等が記載された書証であり(本件患者の各原告番号に係る乙E一〇〇〇番台号証の1として提出)、本件患者の主治医が公健法による補償給付の申請(認定、更新、障害度見直し)に際して名古屋市長又は愛知県知事に提出した公害健康被害者主治医診断報告書

検査結果報告書

本件患者の肺機能検査、胸部レントゲン写真、心電図検査などの検査結果が記載された書証であり(本件患者の各原告番号に係る乙E一〇〇〇番台号証の1として提出)、本件患者の主治医が公健法による補償給付の申請(認定、更新、障害度見直し)に際して名古屋市長又は愛知県知事に提出した公健法医学的検査結果報告書

陳述書

本件患者本人又はその近親者が、本件患者の生育歴、職歴、指定疾病の症状、指定疾病以外の病歴、生活状況等を記載した陳述書であって、本件患者の各原告番号に係る甲H一〇〇〇番台号証として提出された書証

二  本判決の前提となる主要な用語は以下のとおりである。

PPm

100万分の1を表す濃度の単位である。

ppb

10億分の1を表す濃度の単位である(PPmの1000分の1)。

μm

100万分の1m(1000分の1mm)を表す長さの単位「ミクロン」

μg

100万分の1g(1000分の1mg)を表す重さの単位「マイクログラム」

Nm2

温度零度、圧力1気圧の状態に換算した気体1m2

排出基準

大防法3条に基づき、ばい煙発生施設から大気中に排出される排出物に含まれるばい煙の排出の量について定められた許容限度

ばい煙

大防法2条1項各号所定の大気汚染物質の総称であって、燃料その他の物の燃焼等によって生じる物質である。硫黄酸化物(一号)ばいじん(二号)、有害物質(三号)がある。

昭和45年法律第134号による改正前の大防法においては、硫黄酸化物(一号)とすすその他の粉じん(二号)のみであったが、右改正後、燃焼などの熱処理に伴わないで飛散する大気汚染物質が粉じん(大防法2条4項)として独立に定義されたために「ばい煙」の定義から外れ、また、熱処理に伴って発生するカドミウム、鉛等の金属物質又は弗化水素、塩素等の有害ガスが有害物質(三号)として独立に定義された。

窒素酸化物は、当初ばい煙とされていなかったが、昭和46年政令第191号による改正後の大防法施行令1条1項5号により、有害物質として指定された。

粉じん

大防法2条4項所定の、物の破砕、選別その他の機械的処理又はたい積に伴い発生し、又は飛散する大気汚染物質である。

浮遊粒子状物質(SPM・PM10)

大気中に浮遊する粒子状物質(浮遊粉じん、エアロゾルなど)のうち粒径が10μm以下であるものをいう。我が国の環境基準の対象である大気汚染物質の一つである。

PM2.0

浮遊粒子状物質のうち粒径が2μm以下であるものをいう。

PM2.5

浮遊粒子状物質のうち粒径が2.5μm以下であるものをいう。

DEP

ディーゼル排出(気)微粒子

環境基準

公基法9条、環境基本法16条に基づき、大気の汚染に係る環境上の条件について、「人の健康を保護し、及び生活環境を保全するうえで維持されることが望ましい基準」として政府が定めた基準である。

環境基準は、大気汚染物質ごとに定められ、改定されているものもあるが、本判決において環境基準という場合には、特に断りのない限り、現行の環境基準を指すものとする。

公害防止計画

公基法19条、環境基本法17条に基づき、国が基本方針を定め、都道府県知事が作成する「公害防止に関する施策に係る計画」

1日平均値

1時間を単位として整理された大気汚染物質の測定結果(1時間値)の1日分の平均値又は24時間を単位として整理された大気汚染物質の測定値(昭和48年6月12日環大企第143号環境庁大気保全局長通知により、二酸化硫黄及び浮遊粒子状物質に関しては1時間を単位として測定結果を整理すべきとされているが、二酸化窒素については1時間又は24時間のいずれを単位として測定結果を整理してもよいとされている。)。

1日平均値の98%値(又は2%除外値)

昭和48年6月12日環大企第143号環境庁大気保全局長通知により、大気汚染の状態を環境基準に照らして長期的評価を行う場合に使用すべきとされた統計数値であり、ある程度長期の評価期間(普通は1年)の有効測定日のすべての1日平均値のうち、上位2%を除外した中で最も高い1日平均値を意味する。

現行の環境基準は、いずれも1時間値の1日平均値で環境基準を定めているが、右通達により、年単位といった長期的な視野で大気汚染の状態が環境基準に適合しているかどうかの評価を行う場合には、測定精度その他の特殊事情によって左右されないように、1日平均値の測定値のうち高い方から2%の範囲内にあるもの(365日分の測定値がある場合には7日分の測定値)を除外した数値を使用するものとされ、ただし、1日平均値につき環境基準を超える日が2日以上連続した場合には、このような取扱いをしないものとされている。したがって、〈1〉すべての1日平均値のうち上位2%を除外した数値のうち最も高いもの(1日平均値の98%値)が環境基準を上回っている場合、〈2〉環境基準を超える1日平均値が2日以上連続した場合には、いずれも、長期的にみて、大気汚染の状態が環境基準に適合していないと評価されることになり、そうでなければ、環境基準に適合しているものと評価されることになる。

なお、二酸化硫黄、浮遊粒子状物質については前記通達により2%除外値をもって評価することになっているのに対し、二酸化窒素の場合は年間の1日平均値のうち低い方から98%に相当するもの(98%値)をもって評価するものとされているが(昭和53年7月17日環大企第262号環境庁大気保全局長通知)本判決では必ずしも区別して表記はしていない。

また、本判決においては、特段の断りのない限り、1日平均値の98%値とは、当該年度(4月1日から翌年3月31日までの1年間)の98%値として使用する。

導電率法

大気中の二酸化硫黄の測定方法として環境基準で定められた溶液導電率法。硫酸酸性の過酸化水素溶液に試料ガスを通したときの吸収液の導電率の変化から試料ガス中に含まれる二酸化硫黄濃度を連続的に測定する測定方法である。二酸化鉛法よりも精密であり、昭和40年代から普及した。

二酸化鉛法

二酸化鉛を塗布した布(通常10cm四方の大きさ)を巻き付けた円筒を容器に入れて一定期間(通常1か月程度)大気中に放置し、生成された硫酸鉛から大気中に存在した硫黄酸化物を測定する測定方法であり、昭和30年ころから普及した。二酸化鉛法による測定値は風速等の影響を受けるが、61年専門委報告では1mgSO3/100cm2/日は溶液導電率法による二酸化硫黄濃度の0.032~0.035PPmに相当するとされている。

mgSO3

二酸化鉛法による測定値の単位の表記として使用する。二酸化鉛法によって大気中の硫黄酸化物を測定した場合には、測定期間中の硫黄酸化物の濃度は、1日当たりの100平方センチメートル当たりの無水硫酸(SO3)の重量に換算した値により「mgSO3/100cm2/日」という単位で表記されるのが通常である。本判決ではこれを「mgSO3」と表示する。

ザルツマン法

大気中の二酸化窒素の測定方法として環境基準で定められたザルツマン試薬を用いる吸光光度法であり、試料ガスをザルツマン吸収液に吸収し、亜硝酸イオンとザルツマン試薬とが反応して生成されるアゾ染料の吸光度を測定して二酸化窒素の濃度を測定する方法である。

ザルツマン係数

ザルツマン法による測定結果から二酸化窒素濃度を割り出す計算に用いられる二酸化窒素の亜硝酸イオンヘの変換係数である。かつては「0.72」とされ、この係数を使用して測量結果が公表されていたが、この係数は現実の変換状態を正確に表現してはいないとして、昭和53年7月17日付け大気保全局長通知(環大企第262号)によって「0.84」に改められた。そこで、ザルツマン係数を0.72とする測定値(昭和52年以前の測定値)を現在のザルツマン係数で計算した測定値に置き換える場合には、以前の測定値に0.86(0.72/0.84)を乗じて測定値を補正することになる(昭和53年8月1日環大企第287号)。

K値規制方式

硫黄酸化物について、地上濃度を考慮し、排出口の高さに応じてその排出口における排出量の許容限度を定め、これを排出基準とする方式(大防法施行規則3条)。算定方式は次式のとおりである。排出口の高さについては、排出口から大気中に排出される硫黄酸化物の地上への影響の程度は排出口の実高さのほか、排出速度、排出温度等によって異なるので、排出口の実高さにこれらの要素を考慮して必要な補正を加えることとしたものである(有効煙突高さ)。

q=K×10-3He2

q・・・硫黄酸化物の許容排出量(Nm3/h)

K・・・政令により地域ごとに定められる定数

He・・・有効煙突高さ(m)

メッシュ

対象地域を碁盤目に区切ったもの。拡散シミュレーションにおいて、標準的には網の目の大きさは1kmが基本だが、煙源の密集している地域は500mにし、煙源又は人口の少ない地域は2kmとするなど調整されることがある(甲E四七、証人北林主尋145)

特異的疾患

公健法2条2項の地域を特定する疾病であり、原因とされる汚染物質とその疾病との間に特異的な関係があり、その物質がなければその疾病が起こり得ないとされている疾病をいう。

非特異的疾患

その疾病の発病原因となる特定の汚染物質が証明されていない疾病をいう。

慢性閉塞性肺疾患

慢性気管支炎及び肺気腫のみの総称とされる場合と、さらに気管支喘息(及び喘息性気管支炎)を含む総称とされる場合がある。

BMRC質問票

BMRCが昭和35(1960)年に発表し、昭和41(1966)年及び昭和51(1976)年に改定した「呼吸器症状に関する質問票」に準拠して日本語で作成され、我が国の疫学調査で使用された質問票を指す。

持続性咳、痰症状

(5+10症状)

BMRC質問票の「そのような咳が毎年(少なくとも2年以上連続して)3か月以上殆ど毎日のように出ましたか」という趣旨の質問(持続性咳)及び「そのような痰が(少なくとも2年以上連続して)3か月以上殆ど毎日のように出ましたか」という趣旨の質問(持続性痰)のいずれにも「はい」と答える場合の症状をいう。

BMRC質問票に示されている持続性痰に関するコード番号5、持続性咳に関するコード番号10についていずれも「はい」と答えることに着目し、「5+10症状」ともいう。

ATS-DLD質問票

ATSの肺疾患部会(Division Lung Disease)が考案した標準質問票に準拠して日本語で作成され、我が国の疫学調査で使用された質問票を指す。

喘息様症状、現在

ATS-DLD式質問票において〈1〉「これまでに胸がゼーゼーとかヒューヒューして急に息が苦しくなる発作を起こしたことはありますか」「そのような発作は今までに2回以上ありましたか」「医師に喘息様気管支炎又は小児喘息といわれたことがありますか」「そのとき、息をするとゼーゼーとかヒューヒューという音がしましたか」「そのとき、ゼーゼーとかヒューヒューして急に息が苦しくなりましたか」という趣旨の質問のいずれにも「はい」と答えた場合(喘息様症状)で、かつ、〈2〉「この2年間に上の質問『息をするとゼーゼーとかヒューヒューする発作』『息が苦しくなる発作』のいずれかに該当する発作(症状)を起こしたことがありますか」「この2年間に、喘息、喘息性気管支炎又は小児喘息で治療を受けたことがありますか」という趣旨の質問のいずれかに「はい」と答えた場合(現在)の症状である。

オッズ比(相対危険度)

二つの人間集団における疾病あるいは疾病の症状などの健康影響指標が発生する確率(リスク)の比をいう。

米国大気質基準

(NAAQC)

米国において、大気清浄法(Clean Aira Act)108条及び109条b(1)に基づき、感受性の高い人を含む公衆の保護が測られる環境中の大気汚染物質の最大許容レベル、すなわち、いわゆる「一次基準」として定められた基準をいう。

理由

弁護人鶴見祐策、同上田誠吉、同千葉憲雄、同原田敬三、同石崎和彦、同牛久保秀樹の上告趣意第一点及び第二点について

所論は、憲法二一条一項、一五条違反をいうが、公職選挙法一四二条一項が憲法二一条一項に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和二八年(あ)第三一四七号同三〇年四月六日大法廷判決・刑集九巻四号八一九頁、昭和三七年(あ)第八九九号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五六一頁、昭和四三年(あ)第二二六五号同四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁)とするところであり、公職選挙法一四二条一項が憲法一五条に違反しないこと、及び公職選挙法一四二条一項の罰則である同法二四三条三号(昭和五〇年法律第六三号による改正前のもの。)もまた憲法二一条一項に違反しないことは、右判例の趣旨に照らして明らかであるから、所論は理由がない。

同第三点について

所論は、憲法三一条違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第四点の一について

所論は、憲法二一条違反をいうが、実質は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第四点の二について

所論のうち、公職選挙法二五二条の規定の違憲をいう点は、同条が所論のような理由により憲法三一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和二九年(あ)第四三九号同三〇年二月九日大法廷判決・刑集九巻二号二一七頁)の趣旨に徴して明らかであるから、所論は理由がなく、その余は、違憲をいう点を含め、実質は、被告人に対し選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用すべきでないとする量刑不当の主張に帰するものであつて、適法な上告理由にあたらない。

同第五点及び第六点について

所論は、公訴権濫用を理由とする公訴棄却を否定した原判断は、憲法三一条、三二条、三七条に違反し、かつ高裁判例に違反する旨いうが、記録によれば、本件公訴の提起を違法、無効ならしめるような事由は認められないから、所論は原判決の結論に影響のない事項について憲法違反、判例違反をいうものであつて、適法な上告理由にあたらない。

同第七点について

所論のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は本件と事案を異にし適切ではなく、その余は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第八点について

所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第九点について

所論は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第一〇点について

所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第一一点について

所論は、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第一二点について

所論は、憲法二一条違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第一三点について

所論引用の判例は、所論の使者の刑事責任についてなんら法律判断を示しているものではないから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

被告人本人の上告趣意について

所論のうち、公職選挙法一四二条の違憲をいう点は、弁護人らの上告趣意第一点及び第二点につき判断したとおりであり、その余は、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 木下忠良 裁判官 栗本一夫 裁判官 塚本重頼 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 官崎梧一)

弁護人鶴見祐策、同上田誠吉、同千葉憲雄、同原田敬三、同石崎和彦、同牛久保秀樹の上告趣意

上告趣意書(弁護人) 目次

第一点 憲法第二一条第一項違反〈省略〉

第二点 憲法第一五条違反〈省略〉

第三点 法令違反及び憲法第三一条違反

第四点 憲法第二一条、同三一条違反〈省略〉

第五点 憲法第三一条、同三二条、同三七条違反〈省略〉

第六点 判例違反〈省略〉

第七点 判例違背、法令適用の誤り

第八点 事実誤認並に判断遺脱(公訴権濫用)〈省略〉

第九点 事実誤認〈省略〉

第一〇点 法令違反、事実誤認〈省略〉

第一一点 法令違反〈省略〉

第一二点 憲法違反、法令違反〈省略〉

第一三点 判例違反〈省略〉

第三点法令違反及び憲法第三一条違反

電報は公職選挙法一四二条にいう文書に該らないにもかかわらず、これに該当するとした原判決には判決に影響を及ぼす法令の違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。もし電報が公職選挙法一四二条にいう文書に該当するならば、同条は電報に対して適用される限度において、憲法三一条に違反するから、原判決には憲法違反の法律を適用した違憲のあやまりがある。

一、電話による投票依頼その他の選挙運動が自由であることは争いがない、電報が電話によつて配達された場合に、それがいかなる意味においても公職選挙法違反に該らないこともまた争いがない。

ところで、電報が電話によつて配達されるか、文書によつて配達されるかは、発信人によつて決することはできない。それは受信人の意思と、電々公社、とりわけ着信局の裁量によるのであつて、発信人において左右することはできない。そして、電々公社は、電報の電話による配達を原則とし、これを勧奨している。

そこで、もし電報が公職選挙法一四二条にいうところの文書に該当するならば、その構成要件に該当する中核の部分が、発信者の行為にかかわりのない、受信人の意思と電々公社の裁量によつて決せられることとなるほかはない。電報の「文書」性の有無、つまり構成要件該当の中核的部分が第三者の意思と裁量に委ねられているという、そのような犯罪構成要件を観念することは明らかに不合理である。発信者が受信人と着信局の裁量による選択によつて、あるときは犯罪者となり、あるときは犯罪者にならない、ということが許されてよいはずがないからである。この不合理は、ただ電報は公職選挙法による「文書」に該らないとすることによつて、辛うじて回避することができる。

二、発信人は、電報の申込によつて電々公社のおこなう公衆電気通信役務を買いとるのであつて、その購入した役務の最後の部分が、紙にかかれたカナ文字によつて伝達されるか、電話による音声を通じて伝達されるかは、特別の意思を表示しない限りは、全く関知するところではない。

公衆電気通信法によれば、「電気通信」とは「有線、無線その他の電磁的方式により、符合、音響又は影像を送り、伝え、又は受けること」であり、「電気通信設備」とは「電気通信を行うための機械、器具、線路その他の電気的設備」であり、そして「公衆電気通信役務」とは、電気通信設備を用いて他人の通信を媒介し、その他電気通信設備を他人の通信の用に供すること」である(第二条)。

発信人は「電磁的方式により符合、音響又は影像を送り、伝え、又は受けること」のサービスを電々公社から購入するのであつて、それが符合によつて送られるか、音響又は影像によって受像されるかは、その時期の電気通信設備の技術水準による。発信人が購入するのは、ある情報が受信人に伝達されることのサービスであつて、文書による配達という伝達形態ではない。

これらのことを前提にしたうえで、電報の利用状況と、その配達方法の変化、他の通信手段の発達などの概況をたしかめておきたい。そこには、電報を公選法一四二条にいう文書にあたる、とする従来の判例の変更を要求するに足るものがある。

三、電報は、年々減少している。その状況を図示すると次のとおりである。(昭和五二年通信白書、一一〇頁より)

電々公社発行の昭和五一年版財務会計統計便覧によれば、電報発信通数は、昭和三〇年を一〇〇とする指数で示すと、昭和三八年に一一七のピークに達し、その後顕著に減少して昭和四四年において八八、昭和五〇年において五六となる。

実数でみると、ピークの昭和三八年に九四六一万通であつたものが、昭和四四年に七一四四万通、昭和五〇年に四五二五万通、そして昭和五一年にはさらには減少して四一八九万通であつて、ピーク時の四四%におちこんでいる。「利用内容をみると、電報通数の減少にもかかわらず近年微増の傾向にあつた慶弔電報は、二~三倍の料金値上げが響いて、五・四%の減少を示したが、全体に占める割合は年々多くなつており五一年度では六五・六%を占め、五〇年度の六四・二%よりふえている。その反面「チチキトク」といつた緊急内容の電報は、わずか一%を占めるにすぎない」(昭和五二年度版、通信白書三頁)(別紙第二-二-二-一図)。

電報の利用状況は、大きくさまがわりしている。これらの変化をもたらした最大の原因は、次にみる電話の普及とその全国自動化の達成であつた。

四、電話の普及は、目ざましいものがある。昭和五一年において、加入電話等の総数は三、三七二万余(対前年度比六%増)であつて、人口一〇〇人当りの替及率は二九・七人の加入となつた。

昭和五二年版、通信白書一一一頁からグラフを示すと次のとおりである(別紙第二-二-三図)。

この表には、昭和四四年度の記載がないので、補充しておくと、この年度においてさえ一二、〇四四、〇〇〇加入に達している。

この自動比率は昭和五〇年度において九九・四%、五一年度において九九・七%、そしてついに五四年度において一〇〇%に到達したのである。自宅から、全国いたる所にかけて、ダイヤルによる通話が実現したのである。

この電話の普及が電報の減少に決定的な影響を与えた。浅原厳人証人(電々公社業務管理局長)は、電報減少の「最大の原因は、電話の普及であるとみてよろしいですね」と問われて「はい、私共はそうみています」と答えている(原審五回三丁)。昭和五二年版通信白書は、「電報の通数は、加入電話、データ通信等の開発・普及に伴い近年減少の一途をたどつており」(一〇九頁)とのべており、電話のほかにデータ通信の開発を電報減少の原因にあげており、浅原証人も加入通信・電話フアツクスの普及などの影響について証言している。テレツクスや、電話フアツクスの場合は情報は瞬時に相手方に用意されている紙につたえられるのであるから、このあたりにも「文書」概念、「頒布」概念の再検討を迫る事態が新たに発生している。つまり「文書」といい、「頒布」というも、通信手段の発展に伴つてつねに再検討を必要とする。

ともあれ、電話の普及を最大の原因として、電報は減少した。その相関を示すのは次の図表である。(昭和五二年度、通信白書、三頁)(別紙第一-一-一図)。電話加入数の増加のカーブの方がはるかに急であるが、それに反比例して電報は確実に減つている。

五、このように電話が普及すると、かつて短時間に情報をつたえた電報は、通信手段としての王座を完全に電話に譲り渡したというべきであるが、同時に今日の電報は、その発信と送達において電話と結びつき、電話に依存することになるのはさけがたい。

電話による電報の発信依頼が、今日、もつとも普通の発信の形態であることは、日常の見聞と経験に徴して明瞭である。腰をあげて電報局に出かけるよりは、目前の机上から電報の発信が依頼され、料金は電話料とともに徴収される。

この点については公表された統計がないので、紙による依頼と、電話による依頼との比較を数字のうえでおこなうことはできないが、電報利用規定第六条によると、通常電報の発信方法として、第一に掲げられているのは、「公衆電気通信設備により公社が指定した電報取扱局への発信」であつて、これはつまり電話による発信のことである。

送達についても昭和四〇年以降は統計を廃止しているのでよくわからないが、昭和三九年において、発信の六割強、送達の三割弱が電話によつておこなわれている。この数字はその後、飛躍的に増加しているはずである。

東京通信局管内において昭和四四年の着信電話九、六五三、八五五通、これから着信慶弔電報(慶弔電報は電話配達をしない)三、一二〇、八三一通をひくと、六、五三三、〇二四通、そのうち電話による配達は一、七三〇、一二五通で、その比率は二六%である。

昭和四四年当時、東京通信局では、慶弔電報を除くと、およそ三割弱が電話で配達されていたことになる。

電話の著しい普及はむしろ昭和四四年以降であるから、今日では慶弔電報を除くと、電話による送達は優に五割をこえている。

この事情をその根底において加速してきたのが、電信合理化の必要である。

電信の合理化は、まず電報中継の機械化にはじまり、電信オペレーターの削減となつてあらわれた。ついで、配達の合理化、つまり配通要員の削減であつて、それをきめたのが、電話による送達である。

昭和五二年度通信白書は、「電報事業の収支は、利用通数の減少や諸経費の増高等によつて毎年大幅な赤字を続けており、五一年一一月の料金改定によつても若干の改善が図られたに過ぎない」と嘆いている。長い期間をかけた合理化にもかかわらず、電報は未だ「大幅な赤字」をつづけている。

電々公社の事業収入の九〇%は電話収入であつて、電信収入は、わずかに二%にすぎない。(昭和五二年度、通信白書、一三六頁)。この二%の事業収入をあげるために、電報事業自体としては「毎年大幅な赤字」を余儀なくされており、その合理化は電々公社のながい企業努力の目標となつている。送達には、金をかけてはおられないのである。浅原証人もいうように、「昔は確かに言われるようにある程度電報の配達を電話でやるということを一生懸命やつた時代もありました」。(原審五回、四丁)。

加えて都市における交通事情の悪化がある。渋滞にまきこまれて、配達のためのモーターバイクは進まない。自転車の方がまだしも動きがとりやすい。交通事故の危険は増大するばかりである。

人が、紙片をにぎつて、街をかけめぐる時代は去つたのである。電報は、いまや、その人口(発信)と出口(送達)において、電話とリンクせざるをえない。

六、電々公社総裁の制定する電報利用規定によると、その八条一項は次のとおりである。

「第八条 通常電報は次の方法により配達します。

(1) 加入電話、地域団体加入電話または接続有線放送電話設備による配達

(2) 加入電信による配達

(3) 電報送受用設備による配達

(4) 電報配達員による配達」

これは公衆電気通信法一九条が「電報はあて名に記載された場所に配達するものとする」と定めていることをうけて、その配達の方法を定めたものである。公社は任意にその配達方法をえらぶことができるようになつている。

右電報利用規定八条一項の(1)は、電話による。(2)は、加入電信、テレックスによる。(3)は電報送受用設備による。(4)、電報配達員による。このうち、(1)は音声で、(2)、(3)は、配達をうける者の側に用意された紙に文字でうちこまれる。(1)、の場合が文書頒布に該らぬこと、自明である。(2)、(3)の場合に、受信者の側に用意された紙は「文書」であるのか、そしてそれは一体文書の「頒布」に該るのか。いずれも該るまい。

紙はあらかじめ、配達を受ける者の側にある。そこに文字がとびこんでくる。この、とびこみ、は頒布とはいえない。

そして、これら四種のうち、いずれを選ぶかは、着信局の裁量である。つまり、まず総裁がその裁量で利用規定(かつては営業規則)を定め、この規定にもとづいて電報利用契約がむすばれ、この契約の内容として、いずれの配達方法によるかは、着信局に委せられる。ここでは発信者の意志による支配は二重の裁量を介して、ゆきとどかない。途中で切れてしまう。

営業規則の時期にさかのぼると、営業規則五一条四項をみてもらいたい。これによると、「電話加入者にあてたものについては、その電話加入者が承諾したときは、加入電話により送達する」とある。そして、局には、住所の分類で管内全加入者の電話番号簿が常備されており、番号や所有者の変更は即座に訂正されるしくみになつている。

この場合、「電話加入者が承諾したときは」ということの確認は、まずは電話でおこなわれるのである。電話で加入者宛の着信がある旨を伝えれば、加入者はまずその内容の告知を求める。電話で電文を伝えれば、特別の場合でなければ、あらためて文書の配達を求めることはない。つまり、この営業規則は実際は加入者宛の電報配達は、電話によることをきめているに等しいのである。

七、証言にもとづいて、この間の事情を明らかにする。

すでに一番三五回公判で証人樋口充睦は検察官との間に次のような問答を重ねている。

「問、それからこの電報を名宛人に送達する方法は普通どうなつておりますか。

答、電話のあるところはその当時のころからなるべく電話で配達するようにしてたと思うんです。

問、そうすると方法としては電話で送達する方法と通常の配達方法と二つある。

答、そうですね。

問、本件の方法については、どういう場合によることになつたんですか。

答、そのときには、とくにお客さんがいわない限りは電話でとか何とか普通は着信局に来てから処理されるのが普通なんです。というのは、着信局で電話があれば電話で配達すると。

問、本件の場合はどつちにするかという話はなかつた。

答、そういう記憶ですね」。

本件の場合、日本橋電報局にもちこまれた電報は、すべて自局の管内に配達されるものであつた。ここでは発信局と着信局が同一である。そこで日本橋局で、名宛人に「電話があれば電話で配達する」ことは優に可能であつた。そして、「その当時のころからなるべく電話で配達するようにしてた」のである。

被告人がとくに電話送達を望まない旨を表示していなかつたことはあきらかである。まして、電文の配達を希望する旨を述べなかつたことも同様にあきらかである。

電々公社業務管理局長、浅原厳人証人は、電報が電話で配達されるか、あるいは送達紙によつて配達されるかは「結局は受信者の選択によるのではないか、と思います」(原審五回、8丁)とこたえている。同じく昭和五〇年六月から五三年一月まで業務管理局電報電話課長であつた鈴木晴夫証人もまた電報利用規定八条の定める四つの配達方法について証言したのちに、「四つの方法で配達しますが、求められたら届けるということです」(原審五回、一七丁)と証言している。

さらに、電報実務三十余年の経験をもつ三田電報電話局電信課勤務、内山春夫証人の次の証言をみておくべきであろう。「一つは発信人がどういう形体を希望するかということですが、特に配達員による配達を希望するときは、受付担当者が局内内心得にタリという略号を入れた電報が着信した場合には、原則として配達員による配達をするが、但し受取人が予め電話局に対し自分宛の電報は全て電話で欲しいというような申出がある場合は発信人のそういう意思があつても受取人の意思を優先させるということがあると思います。

それから先程原則として配達人による配達か或は電話による配達かという基準は、実施方法でこういう電報は配達員による配達を原則とすべきだという一定の基準にしたがつて処理するわけですが、その場合も現在は慶弔電報以外については、受取人の意思にしたがつてかまわないと、こういうふうになつていますので、電話局の判断と受取人の意思が最終的には優先するのではないかと思います」(原審四回、十六丁)。

選挙電報であつても電話で配達していつこうに差支えないし、また実際にそのようにおこなわれていた。「……電話で届けさせますかと一応ききますが相手方の方がその必要がないと言えば電話で送るということになります。それからもう一つ、大量に発信されて、どうしても配達員による配達が無理だということを所属長が判断し、仕方がないから電話でやろうというふうにやる場合もあります。そういう場合は手分けして電話でやつています。……確か大雪のときに選挙関係の電報が出て、そして配達が非常に困難で、これはもう電話でやつたほうがよいということを所属長が判断して、電話でやつたことがあります。」選挙電報であつても、「局の判断を受取人の要求によつて変化する」(三一丁)のである。

タリ記入があつても、それは必ずしも電報局を拘束せず、受信人の意思と局の判断で電話送達がおこなわれるのである。(三四丁)そして「発信人の意思と受取人の意思は十分尊重されなければなりませんが、尊重されながらも電々公社の裁量が大きいウェイトを示している、ということです」(四六丁)。

八、以上で明らかになつたように、電報は選挙電報をもふくめて、電話による送達を事実上の原則とするようになつており、また電話によるか送達紙によるかは電々公社の裁量に委せられていて、受信者の意向は尊重されるにしても、決して決定的なものではない。

原判決は昭和三六年(あ)第一九九一号、同年一二月二一日第一小法廷決定を援用して、弁護人の主張を排斥しているが、この判例は、いささか語義に偏した上告趣意に答えたもので、とうてい本件の上告趣意の当否を考えるうえで、先例とするに足るものではない。

九、原判決は、電話による場合と比較して、紙による場合の方が「選挙に関する意思伝達の手段としては極めて正確かつ有効であつて、選挙の公正を害する危険性において、電話による配達に比較してより高度であることは見易い道理である」から、「電話が送達紙によつて配達された場合だけを採り上げて、これを処罰の対象とすることは、実質的にも十分に合理性があるといえる」という。

この議論は、電話で配達された場合も同じく「選挙の公正を害する危険性」があり、ただその程度において紙による場合の方がより高度である、としていることは自明である。

しかし、電話で電文が伝えられた場合にも同じく「選挙の公正を害する危険性」がある、という判断には、いつたいいかなる実定法的根拠がある、というのであろうか。なんにもないのである。むしろ選挙のときにこそ、選挙について豊富な情報やコミュニケーションが有権者に与えられることが望ましい。選挙について自ら語り、他から語りかけられる、という国民相互の交流は、このときほど豊かに保障されることこそが期待されている。それは、この国の政治上の民主主義にとつて、緊要なことである。

電報が電話で配達される場合と、発信者自らが直接に受信者に電話して同じメッセージを伝達した場合とを比較してみるならば、その相違は発信者の肉声で伝えられるかどうかのちがいに帰するであろう。

つまり、電報が電話で伝えられる場合とは、発信者がみずから受信者に電話をするかわりに、電報代を支払つて、電報局員を代言者にたのむことにほかならない。もし伝えられるメッセージの印象の強さについていうならば、代言者にたのまないで肉声で伝えた方がよほど「正確かつ有効」であるにちがいない。さらに紙で伝えるよりも、直接に情感をこめた肉声による方が印象的でさえある。そこでもし原判決の考え方によるならば、選挙について電話で意思を伝えることも「選挙の公正を害する危険性」があり、その程度は電報が電話で配達される場合はおろか、紙で配達される場合に「比較してより高度であることは見易い道理である」ことになるであろう。

つまり原判決の理解によれば、電話による投票依頼もまた、「これを処罰の対象とすることは、実質的にも十分に合理性がある」ことにならざるをえない。

実はここに原判決の選挙運動に関する理解の軽薄と浅薄とがある、といつてもよいであろう。

選挙運動を禁止の方におしなべて考えるか、自由の方におしなべて考えるかは、この問題を考える場合の基本的対立であつて、原判決の立場は前者に、そして弁護人の立場は後者にある。

原判決流の選挙運動観にたつてみて、ここでの問題は紙であるならば処罰され、音声であるならば自由である、ということのそれなりの合理性をどこにもとめることができるか、という点にある。電報は、紙で配達されようと、音で配達されようと、電報代にかわりはないから、選挙運動の費用の問題とのからみで「選挙の公正」との関係を論ずる余地はあるまい。そして、伝達の「正確かつ有効」という点でいえば、発信者みずからが電話口に出て受信者にメッセージの趣旨を縦横に伝えた方がはるかに「正確かつ有効」である。原判決の説明はどう考えてもなりたたない。むしろその逆の方が成立するのである。

なお、「電報が送達紙によつて配達された場合だけを採りあげて、これを処罰の対象とすることは、実質的にも十分合理性があるといえる」だろうか。ある発信者は二〇通を発信し、配達局の都合で全部が電話で送達された。しかし他の発信者は二〇通を発信して、これまた配達局の都合でたまたま全部が紙で送達された。この場合、前者は処罰されず、後者は処罰されることに「実質的にも十分に合理性」があるだろうか。とくにもし後者において「タリ」指定をせず、むしろ電話送達を望む旨を表示していた場合は、その「合理性」はどこに求められようか。原判決はこの問いに答えることはできない、そしてこれをしても因果関係論で説明することは不能である。

一〇、原判決は、公社の営業規則などは公職選挙法と直接の関係がないから、同法一四二条の構成要件が当然に明確性を欠くことにならない、という。弁護人たちも、そんな「不明確」な主張をしているのではない。公選法一四二条が、こんにちの電々公社のしくみを通じて、電報の発信、送達という形態をとつた場合に、それがあきらかに不合理な刑罰を許すものとして憲法三一条に違反する、と主張しているのである。かえりみて他をいうてもらつては当惑するのである。

大切なことは、それが文書になるか、ならぬか、という構成要件のキイポイントをなす部分が、発信者においてはとうていコントロールできない第三者の裁量に委せられている、という点にある。構成要件を充足するか否かの中心部分が、発信者の行為支配をこえているばかりか、それが第三者に握られている、という点にある。

それは「因果関係の面で処理」できない。

「およそ犯罪一般について」「みられる」因果のつながりの「不確実性」の問題でもない。殺人罪は人を殺すことによつて成立するが、殺す相手が、第三者の裁量によつて、あるときは「人」となり、あるときは「人形」となる、という問題であつて、結果発生の「不確実性」の問題ではない。

犯行の成否を、第三者がきめるのでは、いかに「不確実性の時代」とはいえ、「不確実」にすぎるではないか。

この不合理は、電報は公選法一四二条にいう文書に該らない、と解することによつてのみ免れうる。そしてもし、電報をしも文書に該るというのであれば、公選法一四二条はあきらかに不合理きわまる刑罰法規として、こと電報に関する限度において、憲法三一条に違反する、と考えるべきであろう。

第七点判例違背法令適用の誤り

原判決は間接正犯に関する判例に違背し、誤つて公選法一四二条、二四三条三号を適用したものであつて破棄を免れない。又、本件に公選法一四二条、二四三条三号を適用することは、判決に影響を及ぼす法令解釈の誤りであり著しく正義に反するので破棄を免れない。

一、原判決は電報局員に対し、発信方を依頼し、電報局員をして、配達紙を配達させることをもつて、電報局員を利用する法定外文書の頒布行為の間接正犯と認定している。

原判決の認定する罪となるべき事実は次のとおりである。

『被告人は昭和四四年七月一三日施行の東京都議会選挙に際し、同都中央区から立候補した森山一の選挙運動のための文書を頒布することになるのを認識しながら、同月一一日同都中央区日本橋人形町一丁目一四番地日本橋電報局において同局係員に対し、『モリヤマハジメゼンセンイチダンノゴシエンヲ」ノサカサンゾウ』と各同文の電報を別紙一覧表記載のとおり同区日本橋箱崎町一丁目四番地望田桂一ほか一三二名にあてて、それぞれ一通ないし三通発信方を依頼し、同日および翌一二日の両日にわたり同局員らをして右望田らに前記文面の電報合計一四五通を配達させ、もつて法定外選挙運動文書を頒布したものである。」となつている。

文理上よりも明らかなように「電報局係員に対し、中略、発信方を依頼し」「同局員らをして、中略、電報合計一四五通を配達させ」たことが、実行々為とされているのである。即ち、日本橋電報局々員の行為を利用した間接正犯行為としているのである。更に、

原判決は、判決文一〇丁裏で間接正犯行為であることを明確に述べている。「公衆電気通信法の精神にかんがみれば公社は通信文の内容が刑罰法令に触れる場合であつてもその配達を拒むことができないと解すべきであるから、その場合の電報業務は公社職員にとつて職務上の義務に基づく適法な行為と解すべきである。

こうした行為を利用して選挙運動用の電報を発信し、送達紙で配達させた者は、他人の義務に基づく行為を違法に利用したものとして、法定文書頒布罪の正犯としての罪責を負うべきものと解するのが相当である。」としているのであり、電報局員の行為を利用した間接正犯行為としているのである。

ところで、公職選挙法一四二条の行為類型は、同条各号に規定する通常葉書並に第一号第二号に規定するビラ以外の選挙運動のために使用する文書を頒布することである。

即ち文書を頒布する行為である。

原判決に即してこれを電報の場合に適用すれば、配達紙を頒布することである。

頒布することは、配布すること(昭和一五年六月一七日大判)であり、電報の場合であれば各戸に配達することである。

公職選挙法一四二条違反を電報について、行為類型化すれば配達紙を配達することである。

従つて、公職選挙法一四二条違反の行為を電報について考えれば、直接的に正犯に該当するのは、配達紙を配達する電報局員でなければならない。

原判決は、この配達紙を配達する電報局員の行為を利用したものとして、被告人の行為を正犯の行為と認定しているである。

では原判決は被告人のいかなる行為をもつて正犯としての利用行為として認定しているのか、

罪となるべき事実に則して言えば「電報局員に発信方を依頼し」「同局員らをして電報を配達させた」ことであり、

原判決一〇丁に則して言えば「公社職員にとつて職務上の義務に基づく適法な行為」「を利用して選挙運動用の電報を発信し選挙紙で配達させ」たことである。

即ち、被告人の現実に行う行為は、電報局に発信を依頼する行為のみである。

又問題はこの発信依頼行為が、本来的に公選法一四二条違反行為たる配達紙を配達する行為を利用する正犯と評価されうる行為であるか否かにある。

二、電報局員の行為と被利用性

(一) 配達紙配達の電報局員の行為

既に述べたとおり、公職選挙法一四二条違反の行為類型に直接あてはまる行為は配達紙を配達する行為である。従つて、本来であればこの氏名不詳の配達担当の局員が正犯とされるのであるが、原判決はこの局員の行為を、被告人に利用された行為、被利用者の行為として捉えているのである。

原判決はこの点につき判決文一〇丁で次の様に言つている。

「公衆電気通信法の精神にかんがみれば、公社は通信文の内容が刑罰法令に触れる場合であつても、その配達を拒むことができないと解すべきであるから、その場合電報業務は公社職員にとつて職務上の義務に基づく適法な行為と解すべきである。」

右の判決文をみると、原判決は配達をした局員の行為は、法令による職務行為として違法性を阻却するものと判断しているものと考えられる。

配達をした局員の行為は、既に作成された配達紙の配達にすぎず、配達員はたしかに、配達紙の配達を拒むことはできない。

その意味でたしかに、配達をした局員の行為は、法令による職務行為と考えることは可能であろう。

しかし、証人内山春夫の証言によれば、配達担当の局員の前に電報を配達紙によつて配達するか否かを判断し、配達紙を作成する、抽出作業を行う局員の行為が存在するのである。

(二) 抽出作業の電報局員の行為

電報が、発信局より着信局に到達した後、これを配達紙による配達によるか、電話による伝達にするかを判断するのは抽出担当の電報局員である。

抽出担当の電報局員は着信した電文を読み、内容を判断した上で、配達紙による配達か、電話による伝達かをよりわけ、配達紙によるべきものと判断すれば配達紙に電話番号を記載することなく、送達係にわたし、送達係は配達紙を作成する。

原判決に言う文書である配達紙はここに初めて作成される。一度配達紙が作成されれば、配達担当者はこれを宛先に配達するギムを負うのであり、電話番号の記載なく、送達紙が交付されれば送達係は、配達紙を作成するのであるから、抽出行為は、文書を頒布することを確定的にする行為である。

では、抽出行為を行う以前の段階でも、配達紙による配達は確定的なのであろうか。

原判決が、この点について述べる原判決一〇丁の公衆電気通信法に関する議論は詐瞞という他はない。

正確に言えば原判決一〇丁「公衆電気通信法の精神にかんがみれば公社は通信文の内容が刑罰法令に触れる場合であつてもその配達を拒むことができないと解すべきであるから」とあるのは、

「公衆電気通信法の精神にかんがみれば、公社は通信の内容が刑罰法令に触れる場合であつても、その伝達を拒むことができないと解すべきであるから」とされねばならない。

公社は、通信の内容が、恐喝、脅迫等明白に刑罰法令に触れる場合であつても、その内容を伝達せねばならぬことは事実である。しかし、決して、文書で配達するギムは負わぬのである。電報と郵便との決定的な差はここにある。

郵便は、既に作成されている文書をうけつけ、これを配達すること、即ち文書を頒布することが、本来的業務であるに対し、電報は通信即ち音声、文書たるを問わない意思表現を伝達することを本来の業務とするものである。

電報利用規定第八条電報営業規則五一条は、この本来の業務を利用者に対し明示している。公社が利用者に対し負う法律上の義務は通信を送達紙による配達、電話による音声を使用する伝達のいずれかによることのみであり、配達紙による配達によらねばならぬ義務は全くない。

ところで、公職選挙法一四二条は選挙に関し、意思の表明を伝達することを禁じたものでないことはもちろんである。公職選挙法一四二条違法の構成要件に該る行為は、文書を頒布することである。構成要件の中核は選挙に関する意思表明にあるのではなく、意思表明が文書という形をとることにある。そして、公衆電気通信法の趣旨にかんがみれば、文書という形をとることは全く公社の義務ではないのである。

単なる意思表明の伝達の依頼が、文書による配達という犯罪構成要件の結果実現を確定化してしまうのは、この抽出行為によつてであり、しかもその抽出行為は公社の義務としてなされるものではないのである。

抽出担当の電報局員は、何ら法律上の義務なきにも拘らず、単なる選挙に関する意思表明の伝達依頼を選挙に関する通信であることを確認した上(内山証言)電話による伝達を拒否しあえて、文書による配達を選択するのである。

公選法一四二条違反の正犯は、正にこの氏名不詳の抽出作業を行う、電報局員であると云わざるを得ない。

(三) 電報業務作業実施方法と職務行為

本件の当時、電々公社の内規として、電報業務作業実施法-N三五四に、抽出担当局員に対する業務指示として、「自局の配達区域内(カツコ略)にあてる電報で電話加入者(カツコ略)にあてるもの(中略)は、次のものおよび、すでに電話番号が記載しているものを除き、電報送達紙の電話番号欄にその電話番号(カツコ略)を記入して、送達係へ送付する。」となつており、電話番号を記載して、送達係へ送付された送達紙の電報は、電話で伝達されるわけである。そして次のものの中に、8号として「各種競技・選挙等に際し、関係者にあてる激励の意を内容とする電報」がある。

この文意自体からみると、所謂激励電報のようであり、選挙における投票依頼の電報を含まぬものの様であるが、職場の慣行としては内山春夫証人の証言のように投票依頼等の選挙関係信も含むものと解されているもののようである。

仮に、この実施方法が本件電報をも電話による配達から除く趣旨だとしても、それは抽出行為を行う電報局員の行為の違法性を阻却するものであり得ようか。

既に述べたように公社は、文書による配達の義務を負わず、意思表明を伝達するだけの義務しかない。

ところが、選挙関係信を配達紙によつて配達すると公職選挙法一四二条に違反することになる。

即ち、実施方法は、犯罪行為をなさしめようとする違法な義務指示であると云わざるを得ない。

違法な業務指示による、違法な結果を招来する行為が法令による職務行為として違法性が阻却され得ないことは、学説、判例等に異論をみない処であろう。

例として、名古屋高裁金沢支部昭和二七年六月一三日の判決をあげる。この判決は、上司たる薬剤科長の指揮監督によつて薬事法違反の慣行が生じ、その慣行に従つてなした職務行為が問われたものであるが、「上命下従は法の認める範囲内においてのみ許され、法上の義務ないし、刑罰法規に反してまで認められない」とし、違法性は阻却されないものとしている。本件の実施方法と全く同様の例と言つてよい。

(四) 発信者の行為

抽出担当の電報局員は、違法な業務指示に従い、自己の判断で、選挙に関する通信であることを了知しながら、文書として配達することを決定する。この抽出作業によつて初めて電報は文書たることを決定される。

では発信者の行為は、抽出作業担当者をして、文書による配達を決定せしめるものであろうか。

発信者が公社に対し、即ち公社の一員の一員たる抽出担当者に対し、有する束拘力は、電文が文書又は音声によつて宛所に送達されるというにすぎない。それ以上何の拘束力も持たないのである。抽出担当者が文書を選択するか、音声を選択するかについては、発信者の意思は何の関与もしない。

発信者の意思は、犯罪の実現に到ろうと、犯罪を実現しない方法で通信がされようと、いづれでもよいというにある。

電報が公職選挙法一四二条違反の文書頒布となるのは、従つて、専ら選挙関係信を文書たらしめようと電報局員の行為にのみかかつているのである。

仮に、故意もあり、違法性もある被利用者の構成要件該当行為を利用する間接正犯たりうるとの論理があり得たとしても、その利用意思が専ら犯罪構成要件実現に向けられるのではなく、別種の目的(この場合は通信の伝達であるか)に向けられている場合もなお正犯であるとするのであれば、全ての刑法体系は瓦壊せざるを得ない。本件を間接正犯とすれば、例えば熱心な美術収集家が買取るにせよ、窃取するにせよ、方法を問わずに特定の美術品を手に入れることを第三者に金銭を供与して依頼した場合、美術品を窃取した場合、美術収集家を間接正犯に問疑することになる。

窃取によることを選択したのは、被利用者であるにも拘らずである。

電報の発信者に公職選挙法一四二条違反の罪責を問うことの馬鹿馬鹿しさは、余りに明白であろう。

三、間接正犯に関する判例

間接正犯の要件にふれ、これを列挙して論ずる判例は数少い。

昭和九年一一月二六日の大審院判決は、その要件を列挙する数少い判例の指導的判例と言つてよいであろう。

右の判決は間接正犯の要件について言う。

「間接正犯の観念は責任無能力者若しくは犯意なき者、又は意思の自由を抑圧せられたる者の行為を利用して或る犯罪の特別構成要件たる事実を実行せしむる場合に存すべきもの」としている。

その他の間接正犯に関する判決で右の要件以外に間接正犯を成立せしめていると考えられるものは食糧管理法違反に関する最高裁第一小法廷昭和二五年七月六日判決をみるのみである。

学説上、この判決については、故意ある幇助道具の利用として論じ批判するものもある。

然しながら、昭和二五年七月二六日最高裁第一小法廷判決は、間接正犯に関し、故意ある幇助道具なる新たな間接正犯理論を展開したものではない。前示判決は、これを詳細に検討すならば、食糧管理法九条、三一条の構成要件解釈の問題として、被告人を実行正犯としているに過ぎず、間接正犯として、被告人を実行正犯としたものではない。事案は、代表取締役である被告人が、被告人の娘を介して会社使用人に命じて、同人を手足として米を運搬輸送したとするものである。上告理由は、実際に運搬輸送したものは使用人であり、被告人は命じただけであるので、被告人を食糧管理法違反の罪に問うのは、共謀共同正犯が認められるか、数唆犯となるか、間接正犯となるしかない処、使用人は米であることを知つて運んだので、間接正犯の余地なく、共謀関係、数唆の証拠も認定もないので、理由不備の違法があるというにある。

これに対し、前示判決は、「原判決の認定事実は、判示会社の代表取締役である被告人が渡辺申作と共謀の上、被告人の娘昂子を介して会社の使用人佐藤源治命じて、同人を自己の手足として判示米を自ら運搬輸送した趣旨であつて、佐藤源治を教唆し、又は、同人と共謀した趣旨でないことが明白である。そして、かく認めることは、挙示の証拠に照らし社会通念上適正妥当である。」とするものであつて、食糧管理法違反の構成要件解釈の問題として、使用人に命じて運搬輸送することも又、食糧管理法九条に言う輸送に該り同法違反であると判示しているに過ぎないのである。団藤最高裁判事は、この点を正しく指摘し、前示判決に対し、「『輸送』という構成要件要素の解釈によつて決する問題である。」(刑法綱要一〇八頁)と述べている。即ち、前示判決は、間接正犯の一般理論として、故意ある者の利用行為をも、間接正犯であるとするものではなく、あくまで食糧管理法九条の構成要件解釈の問題でしかあり得ないのである。従つて、前示判決を以つて、本事件の先例となすことはできない。

即ち、本件のように、「選挙運動のための文書を頒布することになるのを認識しながら」法律上違法性を阻却される事由もなく、かつ責任能力もある(電報局員に責任能力なしとは考えにくい。)者の行為を利用する行為、間接正犯を認める判例は全く存在しないのである。してみれば、本件を間接正犯であるとする原判決は、前記大審院判例の要件を拡張するものであつて、判例違背と言わざるを得ない。

更に又、前記最高裁昭和二五年七月二六日の判決をもつて間接正犯を成立させたものだと考えたとしても、本件の先例たることはできない。

前示の判決の事案では、

1 使用人に対し会社代表取締役が命じたものであり、被利用者を手足の如く使用しうる立場の人間が正に道具として使用したものであること。

2 会社代表取締役は、被利用者たる使用人に対し、米を法令に反して場所的移動することを命じているのであり、被利用者の行為は利用者の直接犯罪構成要件実現に向けられた意思と合致していること。

の二点が本件と全く異つているのである。

発信者は、会社代表取締役と異り、電報局員を指揮命令すべき立場になく、通信が伝達されることを保証されるのみである。

まして、抽出担当局員が文書によるか、電話によるかを選択する行為に、いかなる形にもせよ関与することは全くないのである。輸送の全過程を掌握する会社代表取締役と、通信が文書になるか否かを決定することすらできない発信者とではその立場は全く異つている。もしこの食糧管理法違反の事例を本件の先例たりうるものと解するならば前述の判決の意義は、″およひ他人に依頼して犯罪の構成要件を実現したる者は全て間接正犯である。″と判断した判例と解されねばならない。

その様な解釈は、およそ教唆犯の成立の余地をなくし、現行刑法とあい入れぬものであること明白であろう。

又、発信者の発信依頼行為の向けられた目的は、直接犯罪構成要件実現を目指す処にはない。あくまで通信の伝達であり、通信の伝達手段として、文書の頒布となりうる可能性もあるというに過ぎない。依頼している内容は、犯罪構成要件を実現しようと、実現しまいと実行可能な内容である。これを前述の会社代表者の場合に則して述べれば、合法的方法(可能であつたとした場合のことであるが)たると違法な方法たるとを問うことなく米の移動を依頼し、かつ合法的に米の移動をなしうるだけの資金等を提供している時に、使用人が敢えて、違法な輸送を行つた場合ということになる。

この場合に間接正犯を成立させるとするならば、間接正犯はおよそ犯罪実現に関与した一切の依頼行為を包摂することになり全刑法体系はその存在価値を失うであろう。

つまり、本件について、間接正犯を成立させるためには″およそ、犯罪の構成要件を実現する可能性を含む事を、他人に依頼し、他人が自らの選択によつて犯罪構成要件を実現した時は、依頼した者は全て間接正犯である″とする判例が存在しなければならないのである。

原判決は、前述の罪となるべき事実を記載することによつて右の法理をうちたてたのであり、この法理が前述の大審院判例に違背するものであることは誰の目にも明白であろう。

四、最高裁昭和三六年(あ)一九九一号、一二月二一日第一小法廷決定は、本件の先例たり得ない。

原判決は安易に最高裁昭和三六年(あ)一九九一号第一小法廷決定をもつて、電報の発信依頼が公職選挙法一四二条違反の法定外文書頒布にあたるとする判例であるとし、本件も又、法定外文書頒布であるとしている。

然しながら、上告審の判断は、その上告理由との関係でのみ判断されるものであつて、別異の上告理由に対し、先例としての価値を持つものではない。前記決定は、電報では通常使用する熟語は送付というにあり、頒布ではなく、従つて頒布ではないとする上告理由に対するものである。

上告理由には、電報における音声による配達の可能性や公社と発信者との契約の内容等一切問題とされていないのである。まして、電報の業務の実態をあきらかにし、文書による配達をなさしめるか否かが専ら、抽出担当の局員の判断にかかることを明らかにした上で、間接正犯の成否を問う本件上告理由とは全く異るものである。

弁護人は、この新たな上告理由に対し、確固たる刑法理論にのつとつた判断を要求するものである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例